目に見えることが真実なのか。
夜空を見上げると見える星の多くはすでにない星。
何億年という月日ののちに地球に光が届き、見えた時にはすでに消滅していることが多々である。
逆に人の一生の間で存在しているのに見えない星だらけ。
このことだけでもミステリー。実際、風は見えない。
しかし一つの風景があると風が動きになる。
ましてや自在に動く新宮晋さんの彫刻を見ると、見えない風の動きを見せ、
そしてその動きをエネルギーに変えていく。
先日見たアンソリ・ショッツも空気や光、空間を視覚化するアーティスト。
彼女曰く、「宇宙は何でできているのかという質問は彫刻やアートがなんであるかという事の基本であるように見える。」
まさに創造とは未知なのだ。
だから面白い。
今、常にわかる範囲を決め、わかると安心する。
要するに分けるのである。ある範囲に。
そしてそのわからない場では戸惑い、時には逃げ出すこともある。
ノーベル賞の宇宙や科学に関する研究も、ここまでわかったというポイントを明らかにする。
逆を言えば、ここからはわからないということをハッキリさせたものばかり。
アンソリが今回この光溢れるエスパスLVの空間を見たときに、
自然光が見える彫刻をイマジネーションしたのだという。
このギャラリーの特徴はガラス張り。
外の光・街とコラボする。
させないとやられてしまう。
作品の表情がライトの照明とは違い、二度と同じ表情は生まれない。
だからこそ今回のように光により七変化する作品は実にこの場とコラボする。
そして刻々と変わる光を艶やかな色味に変え、こちらの立ち位置と共に語りかけ、姿を変えていく。
大人も子供も関係なくDNAに響くアート。
この作品は極めてデザインに近い。
ディスプレイやモニュメントでもある。
クロスする感情は、ひとがひとつの表現(アート)を通じて視覚化されることで、
永遠のロマンを見ることへ導いてくれるのだろう。
交流。
互いの能力が触発され、ブレークしていく。
他社の関係が出来ることで、距離感が新たな存在を魅せてくれる。
アートスコープもそんな企画の1つだろう。
ちょうど半年前となる東日本大地震が起き、
プロジェクトが実現できるか危ぶまれていたものの、諸氏のパワーで実現した。
原美術館にて、東京は紅葉がもっとも見時の紅葉。
1930年代に建てられたバウハウスの影響の強い建築物に手入れの行き届いた庭園に美しく。
4人の作家それぞれが発している。
小泉明郎は、ドラマの裏 表舞台。
視点による見え方、イマジネーションが変わっていく。
同じシーンでありながら、全くといってもいいほど違うイメージも生まれる。
ユニークなシュール。
佐伯洋江は、どこか懐かしく、センチメンタルでありながらも、
シャープペンで描かれる洗練された線は、和・モダンな幻想へ引き込まれていく。
美しく独特な味わいは心の中がうずく。
エヴァ・ベレンデスは、パンチングメタルを自在にカラーリング・カッティングし、ある不完全を楽しませてくれる。
なかなか日本にないセンス。
ヤン・シャレルマンは大胆かつビヴィット。
不思議と生き物と対座しているかのごとくみずみずしく艶っぽく動を放つ。
実に良い。
存在が自身の生きている関係を明らかにしてくれる。
一人の個展と違い。
各アーティストの世界に引き込まれながら次のアーティストの声に引き込まれ、見る側の意が浮き彫りにされていく。
対象があるほどに日常も感情が動く。
ある合わせるという事は同じモノ、コトを集めるのではなく、
計画的に異種混合により、その個がより浮き上がってくることなのであろう。
故にキューレションは重要だ。
イマジネーションはコラボレーションで二乗像へ。いや、無限かも。
アーヴィング・ペン&イッセイ三宅。
250作品にも及ぶ1983年から10年間に。
イッセイ三宅さんがペン氏に服を送り、気に入った服をインスピレーションでスケッチを描き、
まるで彫刻を生み出すように創り上げていく。
パリコレのイメージとはまた違うイメージの出現。
当時真っ白な無地なバックに、鮮やかに新しくコンボラリーに出現したそのポスターに、震えがくる興奮を覚えた記憶がある。
それ以来、すっかり、アーヴィング・ペンのファンである。
そしてその時代の自身のファッションは、イッセイ三宅だった。
その後こんな多くの作品が作られていたとは。
かなり見ている方だと思うが、それでも未知な数々。
一同に。オリジナルプリントがもしあればと思ったが、そこはポスターのみ。少々残念だが、今見てもモダンだ。
挑戦してくる。触発される。
ま、理屈抜きにカッコ良いの一言。
ファッションとは、いかにオリジナルに目立つ。際立つ。
同じ人間はいないのだから、その人のその時の気分を最頂プレゼンで魅せる。
見せる。未せるでいいのではないか。
ミッドタウンは、クリスマスイルミネーション。
こちらも恒例であるが、かなり今年も凝っている。
ちょっとした光のイリュージョン。もう少し、テーマからデザインされても。
ここまでやるのだから。ここまでくると良く欲。
エルメスがクリスマスに期間限定で出店している。
センスいいね。
一目でエルメスとわかるこのビジュアルプレゼンテーション。
その中でもエルメスオレンジ、このアイディンティがなんといつでも印象深い。
色は五感の中でも最も大きく記憶に残る物。視覚が83%。その半分は色なのだから。
うまく活用しているヨーロッパブランドは。
十人十色、自分の色を持つ。
日本でも色は本来最も大事なデザインのポイント、それどころか、その人持ち前のプレゼンテーションでもあったのだ。
このあたりはまたゆっくり。ホスピタリティデザイン。感性マーケティングで。
旅館といっても古来の和のみという事でなくモダン。
今とうまくマッチンされている強羅花壇へ。
今プランディング真っただ中のクライアントの商品撮影で。
ゆっくりホスピタリティを味わいに来たのではないのが残念であるが。
いい器と光を求めてのロケは心地良い。
先週来た時、紅葉真っただ中であった。
ちょうど終盤、足元は紅葉のカーペット。
木漏れ日に光、モネやルノアールのパレットの中にいるようだ。
これだけでも五感は一気にいつもと違った柔らかな動きに。
耳を澄ませば水のせせらぎ、木々の揺れる音、すべてが奏でている。
武満徹さんの音楽が、都会で聞くほど刺激であり、自然の中で聞くと癒しであり、風情なのだ。
そしてそのど真ん中で人がつくる景色。
花一輪、どの場にどの花器で何を如何に。
これが出来るだけでもほぼ殆どのホスピタリティデザインが生まれる。
たまらなく心地良い。
生け花は、生ける人柄もでる。
単なるテクニックだけではない。試されるのだ。
ここが、ドキドキとする。
ま、生きている花を切り、生けるわけだ。
美の極の華があるのだろう
窓からは屋上庭園を覗み、冬支度の出来た木々、手前の沖縄のアンティーク瓦もいいね。この合わせ。
大広間へのエレベーターは真赤な室。
リースがみようにベリーマッチ。
でもよく見ると、このリース本物ではなく作り物。
よく出来過ぎだ。すっかり騙された。
ここは旧館もある。以前皇室が使用していた。
それだけに、繊細に良い技とデザイン。
このステンドグラスのある階段が実に良い。
外の回る光が優しく美しくロマンティックに。
デザインが生きる。暮らしの中で。
ここが原点、デザインは特別なものではない。
暮らしの中での心地良さ、楽しさを一工夫のセンスでどう仕立てていくか、まずはここが原点だ。
それらを伝えていく、その伝えたいこと、記憶に残る要素が多いほどに人は、捨てられなくなり大事にする。
共に作り手も、つくったものと同様磨かれていく。
求める人と作る側のバトルであり、コラボレーションなのだ。想像が超え、創造となる時なのだ。
ロケは順調。良い写真が取れました。その写真は近々公開。
東京へとんぼ返り。六本木ヒルズはすっかりクリスマスイルミネーション。
思いっきりLED。
真っ白に、蒼くクールに光る光り、人が集まってくる。
東京クリスマスイルミネーションの名所の1つ。
今年も例年通り、ただし、温かいせいでまた落葉樹の葉が残っている。
紅葉イルミネーションだ。ちょっと間抜けであるが。
大胆も繊細も。
岡本太郎美術館の前をほぼ毎日、最近は歩く。
先日より出現した、Sun child。
「芸術は爆発だ!!」
プリミティブで、レインボーカラーで、全力で、激しく炎のように描きこむ。
今年年誕100周年でさまざまな展覧会が開かれている。
ひときれ太陽の塔、大阪万博のシンボル。
後にも先にもあれほど巨大な彫刻建築は、そう出現しない。
中は、地球生命の始まりが、実にサイエンスにプリミティブに、アートに表現されている。
残念ながら中は私自身見たことはないのだが、写真で見ているだけでもワクワクドキドキ、タイムマシーンだ。
リアルであるのだが、よくよく考えてみれば、すべては想像・創造のかたまりだ。
3つの顔を持つ塔。
その存在は万博公園のシンボルを飛び越え、今や日本の1つのシンボルだ。
本来シンボルとは何だろう。
よくみれば、Happyな要素のかたまりだけでない。
太陽の塔こそ、陰陽だ。輝く顔、中心の心の顔であろうか。
そして背後の黒い太陽。好きとか嫌いという時を通り過ぎて
一発のインパクトで脳裏に焼き付ける、この話になるときりがない程。
顔を世界の古代文明の集大成から未来への顔へ。青山の岡本太郎美術館へ。
ヤノベケンジが太陽の子、太郎の子を繰り広げている。
庭からニョキっと顔を出すSun childは、ドキッと笑。
もっと大きくてもと。ふと足元を見ると、かわいいパイロンをこんなところにチャーミングな顔をつけるだけで、
物から一気に性格を持つ。
不思議なものだ。
何でも目や鼻・口をつけると語り出すものだ。
ウソだというのならば、まずは何でも身の回りの物に自分のイメージで描けばいい。
その創造と定着がユニークで共鳴するなどグッドデザイン。
度肝を抜くインパクトこそ、芸術なのだ。
芸術は、ある種裏切りであり、媚びないことだろう。
デザインは、徹底的に媚びることであり、期待の最上であろう。
どちらもそのすり寄る、突き放す行為が見えたらおしまいであろう。
愛と同情を求めて。「不安」や「寂しさ」をテーマにChim↑Pomの展覧会K-I-S-S-I-N-G。
男女の顔の描かれた電球が、KISSを繰り返しそして割れ暗闇の中へ。
シュールである。でも喜怒哀楽も。
生きること表裏一体という意味では、3秒先は未来。誰も予測出来ない。
割れた電球の破片は今の電力の象徴の一つでもある。
キリストにキスをするエリイ。
この写真をどのように見るか、それこそも陰陽であろう。
人は知識や多くの経験をもとに善悪の1つのファクターを形成していく。
変わることや、わからないことにぶつかると、とめどもなく同意を求めていく。
クリエーションを突き詰めれば孤独となっていくのでは。
誰も知らない未知への一歩を踏み出すからなのだと思う。
Chim↑Pomは単純なことをいつもハダカにし、ドキッと気づかせてくれる。
今、注目のアーティストの一人だ。ギリギリ、いい意味で。
ミーティングの間を見て、墜ちる。イカロス 。−失われた展覧会。
イギリスのアーティスト、ライアン・ガンダー。
時空を超えた表現には、知識が試される。
実に頭のいい回答のようだ。ウィットが効いているのが良い。
タイトルからそそる、そして作品と対座すると憎いほど意が見えてくる。
「落ちるイカロス」は、壁に作品の掛けてあった跡のみが残っている。
「そして、あなたは変わるだろう」は、展覧会会場の何もない所でのある現象の気づきと必然をつないでいく。存在という認識に揺らぎを与えていく。
「観測所、あるいは悪いのはそれでなく、あなたが混乱しているだけ」
何これはと思った瞬間の返し技のようである時間。
一本取られた。「なるほど、確かに?」もう笑うしかないほど。
現実とは、いかに固定概念で生きているのだとつくづく華々しく魅せつけられた。
それにしても、いい間をつくる。上手すぎだ。
悔しいくらい心地よく、楽しい。
改めて知性とは何だ、そして感性はどこから来るんだと。
外に出ると大きなエルメスがクリスマスモニュメントをビルの吹き抜け1階から5階あたりまで。これまたかわいい。この緩やかなゆるさと完成度。そして何よりも全体の美しさ。
感性が生きている。何一つ宣伝臭さを感じさせず、思いっきり宣伝している。
これこそが、今コミュニケーション。皆、写メを送っている。
見たら、伝えずにはいられない。真の広告なのだ。広く伝えたくなるのだ!!
雨上がりの銀座は、輝きに満ち溢れている。
日本の最上が集まり、イマは世界の最強も集まり、
そして、新たな変も現れ七変化。
魔物が住むとも言われるほど、ミステリアスでもあり、
東京のもっともグローバル広場ともいわれる。
この小さな場で、動かぬことと、日々流動する状況と揉まれ、選ばれ、
繰り返し進化している。
ミーティング前の、間の一時。ポーラミュージアムアネックス。
ここはリニューアルしてから実に丁寧にスペースを生かし、プレゼンテーションしている。
きちんとみせる。
これが実はなかなか出来ない。
気遣いである。
そこには美意識が通ってなければ成立しない。
「モードの時代」60年代から90年代に至る。
ファッション写真の展示をイマ。ビンビンとくる。
おしゃれとは何か。
ファッションとは、“品”。ここに尽きる。
ここなしに冒険はヤボになる。ここがあれば、自由に泳げる。
そして官能とアバンギャルドなチャレンジの旅へ。
アーヴィング・ペン、リチャード・アヴェドン、ヘルムート・ニュートン、ヘンリー・クラークの代表作の勢揃い。
故に、見るほどに一本通った道が見える。
分かり易く、やり過ぎはない。その判断には時代。
それが1つのモードなのだ。きっと。
隣のギャラリー小柳へ。
ここもまた本質、先端アートをいつも心地いい切れ味で楽しませてくれる。
今回はクリスチャン・マークレーの新作。
このうごめく色のリズムと、アニメーションコラージュ、スーパースピード、ビジュアルコミュニケーション、パワフルに思いっきり語る。
軸装の仕立てが実にいい。
日本の古い着物も一部取り入れるが、これがまた上手くなじんでいる。
要するに江戸文化はサイケだ。前衛だ。個の美に走りがある。
巻物もあったがシンプル、チョイ大人しい。
良いまとまりであるが、まとまりはある数寄に弱い。
ここがないと。おしい。でも欲しい。
思わずモノトーンなので、色付けしたくなる。水彩で。
あっという間に時が過ぎて、鑪洞ギャラリーにて黒田征太郎さんとミーティング。
ある企業のブランディングと、くらしのある家プロジェクト、宮城県石巻の仮設住宅でのアートサインの再制作へ向けて。
年内になんとしても実施、0度から5度の気温の中でいかに描くか、100面以上の壁を。
そして、住民皆様と。短時間ではあるが、キャッチボール。
そしてそこで今、開催されている「火神」、火と人間とのかかわり。
その意味を教えてくれる。このことは次回またゆっくりと。必然と大事。
生きるうえで人はコミュニケーションをソーシャルメディアが新たな手法として加速的に広がる中、肌合いを、人、間をどう見い出すか。
ここなしに始まりも終わりもない。きっと。
ホスピタリティデザイン。
久々にロケハンで箱根の旅館へ。
その地の自然と融合し、食、建築、サービス、人肌のある場を求め、よく通ったものだ。なにせ四季により風情が変わる。
食材が変われば当然料理も変わるのであるが、
そこには器と、その盛り付けが実に優美に楽しませてくれる。
まるで一枚のキャンバスに描くがごとし、それが食せるのだからたまらない。
そして同じ季節に毎年来ることも、自身のコンディションと今年の節句がどうなっているのか確かめ、味わう上でも、そして日々、気づかなかった大事の発見をする上でもいい。
一言で、最近は“癒し”というが、そこは、人間が自然と人工物と三身一体となり、1つの刺激と数寄に溢れているのではなかろうかと。
玉庭の庭を眺めながら思わず深呼吸。
ちょうど、紅葉のど真ん中で、真赤な紅葉は太陽の光と共に七変化し、たそがれ時となると、逆に光は輝きを放ち、もっとも曜変な姿を見せる。良い時に来た。
しかも雨上がりとあって、植物はしっとりと、みずみずしく、何とも艶っぽい。
本日はロケハンにてゆっくり出来ぬが、そんな間にも、床の椿は冬の寒さに負けじと美しく語りかける。
モダンにアレンジされた茶室にして一服いただくと、五感はフルに動き出し、そして本来のコンディションへと整えていく。
豊かだ。
ゆっくりも出来ず、もう一件、強羅花壇へ行く。
こちらは開館以来、何度と来たところなので、何だか懐かしいというよりは、我が家へ帰ってきたかのようなほっとする間。
キリっと緊張感の漂うロビーは、和をモダンにデザインされ、時とともに木の色が良い風合いの色味となっている。
昼間は、この空間はガラス張りの窓越しに山の移ろいが一日中、いや、一年中万年と一度と同じことのない情緒を見せてくれる。
ここのカフェで外を見ていると、あっという間に時が経つ。
そして、温楽に入り、また眺め、四季の食を御酒と共に、特にブルゴーニュのワインなどと合わせてと想像が駆け巡る。
今日は仕事!改めて。
ここは新旧がクロスしたあつらえがユニーク。特にアジアのアンティークがうまくその場とマッチングさせながら、随所におかれ、展示のみではなく今も使っているのが良い。
道具は使ってこそ生き、そして人の心が生き生きと宿り、美しさを増していく。
床の螺鈿と香炉の組合せも目にも香る。五感が自由にどんどんと動き出す。
本来は、日常の暮らしの中にこれらの道具やデザインを取り入れることこそ、自分自身とのコミュニケーションがはじまり、客人を迎える時こそ、知恵と美意識の連鎖によるコミュニケーションが、創造という一つの時間を生み出し、それが知恵となり、受け継がれていくのであろう。
今一度、日々の暮らしを豊かに、ちょっとした努力と工夫なのだ。
ディティールにこだわる。
そこには、神が宿るとまでいう人もいる。
当然と言えば当然。
その集積で2Dから3D、そして想像、創造の4次元へと飛躍する。
このプロセスこそ誰にも邪魔されることがない自由な場。
以前、シンプルについて、ある出版物の扉で語ったことがある。
シンプルこそ、隠されたディティールの集積であり、
そのプロセスが見えた時間にシンプルでなくなる。
何だか間答のような話だが、実にそのプロセスで生まれてくるのであろう。
磨きに磨き、練りに練り、そしてスパッと忘れ、眺める。
そんなことの繰り返しから見えてくる景色がある。
風情というべきなのか、まさに風の運ぶ情である。
その一本の称、カタチを描き、作りこみ、完成させ、また次の作品へ未来の旅が始まる。
よくよく思えば、デザインは修業のようなことのようにも最近思える。
そのことに向かって学び、考え、問い、作り、また壊し、
そして作り磨きと、だんだんと念仏のようだ。
そしてそのプロセスを多く含んだものこそが残っている。
心に刻むリズムを生み出す。
おそらくそのリズムに行きつくまでは、1つのプロセスを繰り返し繰り返し、
そうした中から微細な気づきが生まれるのであろう。
デスクワークの1日、メモ帳はクロコダイルの表紙。見事な模様である。
これが描けない。
そう簡単には自然が長年の間に創り出した生命の必然。
その無作為の作為というか、必然はとにかく吸い込まれ、悔しいほどに美しく、ゾクゾクする。
最良の皮をエルメスは独自の色味で染め上げ、丁寧に美しくデザインする。
ものづくりの極の1つであろう。
それは一時的なものでなく、受け継がれる1つの存在へと息吹を送る。
時代を呼吸し、使うことで、さらに強く磨かれていく。
やはり自然界がお手本だ。
デザインする事とは、一貫性の結果を生み出すことでなく、“ing”(進行形)なのだ。
デザイニングなのだ。
そして、そこから生まれるコミュニケ―ションの連鎖が人々の進化へ繋がるのだろう。
街はすっかりクリスマス。
今年の銀座は例年よりもクリスマスライティングが美しい。
全体でデザインされている。
そして、歩道も生木のツリーが、銀座通りにずらーと並んでいる。
木の足元の花壇もクリスマス植栽になっている。
飾ればいいということでなく、1つのセンスで作られている。
すると街のショップも、いつもより演出デザインのクオリティが上がってくる。
資生堂の小さな窓のディスプレイはウィットがきいていて、つい見入ってしまう。
チャーミングだ。シンプルなのだ。
そこがいいね、欲しくなるね。
このスプーンが、グラスが、中を覗きたくなる。
小さなウィンドウ、このスペースこそが、大きなメッセージ、プレゼンテーションの場なのだ。
歩道のポイントポイントにある大きなモニュメントの球に、
気仙沼、陸前高田の小学生が「みんなが笑顔になる未来」をテーマに描いた絵は、
元気に溢れている。
テーマが皆ユニーク、思わず見入ってしまう。
心地よく、大人の華美でない今季の銀座通りのクリスマス。
なんだかとてもGINZAにマッチしている。
このきめ細やかな感じがmade in japan。
ついでにオリジナル商品やパッケージでさらにその繊細な美を含ませると、
さらに格と品が上がっていくのでは。
しっとり、ゆっくり、あたたかな冬の来る東京銀座を二人で歩くも良し、
三人で歩くも良し、四人で歩くも、もちろん一人も、
ゆっくりと一年の最終コーナーを歩むには、良い一時だ。
